神様。仏様。

北海道神宮は、普段でもよくお詣りに行く。最近は観光コースになってアジア系の方々がバスでやってくる。僕はまだ今年のお願い事はしていない。何故なら初詣で大勢の人がお願い事をして神様大忙しだからだ。どんど焼きも終わったので、そろそろ僕のお願い事もきっと聞いてくれるのではないかと思う。幼少時は、村の鎮守の杜が僕たちの遊び場だった。雨の日はお堂の中で「パシン」(メンコ)遊びもした。鎮守の杜の神社に神主さんは居ないので村人と子供たちが守っていた。年に一度、子供たちだけで境内を綱で囲いトゲのあるタラの枝葉を吊り下げて人が入れなくした。この神事は大人は一切手伝わず、毎年自主的に子供たちだけで伝承していた。しばらくしてこの囲いを取り除くのも子供たちだった。祖父はお坊さんのサポート役の伴僧で家には村人の集会ができる40畳ほどの大部屋に大きな間口の金ぴかの仏壇があった。また、田舎にはどの家にも神棚もあり、神仏ともに信仰していた。迷路のような小路に寺の数が多い「寺町」とでも言える武生市にある我が家のお寺は国宝かと思えるほど立派で荘厳なお堂だ。昔、このお寺の御住職に、我が家にある「お寺さん専用部屋」に泊まっていただいて、祖父が村人を集め、お経やお説教をいただく場を提供した。また、御住職が京都本山に行った時には、寺の留守を守り、お経を代読するのが祖父の仕事だったらしい。父は幼少の頃から絵心があり、面相筆で御住職の泊まる部屋のふすま数枚に「孔雀と羽衣をまとった天女」の水墨画を描いていた。レオナルド藤田並みの出来栄えを今も覚えている。長男だった父は伴僧を継がず田舎を飛び出して最終的に陶器の絵付け職人になり東京ではクリスチャンになって日曜ミサに通ったなどと聞いていたが、現代人もクリスマスもハロウィンも日本のお祭りにも参加している事を考えれば、たとえ環境が変わったとしても、その場の神様や仏様を信仰する事はいいのではないかと思う。僕もこんな環境で育ったことで、時々神宮に行き、また毎朝、小さいけれど家の仏壇に向かってから仕事に出かける。お経は満足に読めないが、小さな仏壇の中を通して向こうに、僕の知る限りの故人と可愛がった数十匹の猫たちがいると思いながら、心の声で念仏を唱え、生前の顔を一つ一つ頭に浮かべるのが日課となっている。特に宗派にこだわって居る訳ではないのだが、京に向かう街道筋にあった山間いの田舎では、ほとんどの家が浄土真宗だったので他の宗派の事はよく知らないが、同県内には大きな代表的なお寺では、禅の修行道場でも有名な永平寺もある。僕もお参りに行った時には瓦に筆で名前を書いて屋根の普請のための寄付をしている。

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