デザイン制作の世界にパソコンが現れた。最初に遭遇したのはNECの仏壇みたいなPCだった。プリンターは伝票でも出力するかのように、両端に穴が開いたロール紙を歯車がくわえて送るドットプリンターだが、カラーリボンの色の点が荒くデザインには使えなかった。何でもそんなPCのセットが200万円もした時代だ。結局ゲーム機としてしばらく遊んだが、隣に遊びに来ていた大学の先生にあげてしまった。彼は僕たちの使い方とはちょっと違うようで喜んでくれた。その後IBMのノートPCを30万円ほどで入手しメモリーを増設したが動きが悪くデザインには使えなかった。この頃、長年勤務した日本最古の広告代理店が粉飾決算の末倒産した。創立109年目だった。早速、小さな個人事務所を構え、管財人の手伝いの傍ら、半分遊びながら2年ほどでPCをマスターした。ウインドウズのタワーを2台買って即カバーを外しメモリー増設。これは快適に動いた。メルマガや掲示板で大阪や金沢のほとんど見ず知らずの人たちとネット交流した。スキャナーやMOドライブなど周辺機器も揃え、適当に使い方を独学で習得。ややしばらく経った頃ようやくフラットな横置きマックの中古品を入手した。メモリーやカード増設もハードディスクの容量不足に苦戦したが、制作にはマックの文字が必要だった。初期の頃は80万円以上もしたマックも、この頃にはiマックなど廉価版も出ていた。マックは僕たちの仕事をラクにしてくれた。文字も自分で打て、絵の具も要らない、烏口も筆も、何の道具も要らなくなった。カラーインクをひっくり返してスーツを汚した頃が、まるで嘘のようだった。「写植屋さん」や「製版屋さん」との喧嘩も無くなった。何故なら「写植屋さん」も「製販屋さん」もPCの出現で廃業に追いやられてしまったからだ。反対に、僕はPCに助けられた。今、僕のデスクにはウインドウズ・ノートとデスクトップ、マックのデスクトップの3台が載っている。さらに鞄にはウインドウズ・タブレット、ポケットにはスマホ、自宅にも数台のPCとスマホに固定電話。子供たちは4台の3DSと、通信機器だらけ。PCが僕の現れてから15~6年ほどしか経っていないのだが。
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