一大事業イベントは、仕込みも実施も大変だったが、一回一回終えるごとに達成感を味わった。それは聴講会員の方々に喜んでいただいた時だった。しかし例外も一度あった。それは奥尻の大震災の翌年だった。奥尻には取材で一週間民宿に泊まって町役場で車をお借りしたり、島民の皆さんにお世話になったが、その翌年に、あの民宿も大津波に呑み込まれたのだ。この悲しみを生かそうと「北海道文化塾」の講師に地震の知識の豊富な方を選んだ。偶然にも休日の朝の車のラジオから情報を得、ラジオ局に連絡先をお聞きし、即刻携帯電話でご本人にお願いした。彼の講演が始まった。講演も半ばに差し掛かったころ、聴講会員の何名かが立ち上がり帰り始めた。出口で彼らは「こんな面白くない話はつまらん!」とご立腹。僕「奥尻の例もあり、人選したんですが・・・」。彼「こんな話は聞きたくないから、もう帰る!」と会場を去っていった。そう言えば、ほかの講師の方々の話は、確かに面白かった。しかし地震の話を面白くは語れない。なぜなら僕も幼少時に大震災を体験しているからだ。
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