僕は右利きだが、極力左手を使うことにしている。PCのマウスも慣れれば左手が便利だ。肩こりもなく、手を離さずに右手で絶えずキーボードを打てる利点がある。何でもプログラマーは皆そうだと後で聞いた。僕が左手をよく使うようになったのには理由がある。PCが出現する前、デザイン作業は、「筆」や「ペン」、「烏口」、「コンパス」などすべて右手主体の作業だった。手作業時代は、家に帰っても、家族が就寝中も夜を徹しての作業が多かった。そんな或る日の夜、疲れて仮眠にと子供のベッドに潜り込んで寝てしまった。朝、気づくと幼い息子に腕枕をしていたらしく右腕がシビレていた。会社でもシビレていたが日に日に悪化。地下鉄の切符販売機でコインを入れる事ができずに落としたり、筆記用具も持てなくなった。右腕が命のデザインの仕事、絶体絶命の危機!そんな時、痔の手術で入院中の友人のお見舞いに行った時、その病院の近くに名医が居ると言う話を聞いていた事を思い出した。その時の友人や同室の患者さん達の話に寄れば『九州あたりからも患者が来る』とか、『トーナメントで来道のプロ・ゴルファーも来る』とか、『ギックリ腰の人が診察室でギャア!と叫んだあとシャキッ!として歩いて帰った』とか信じられないエピソードをいくつも聞かされていたからだ。それに『怖い娘看護婦と奥さん看護婦長、おっかない院長先生が居る』とも聞いてはいたが、木造平屋の質素な医院を訪ねると、聞きしに勝る怖い形相で受付の娘看護婦が『いつからですか?!』、と。僕『え~と、いつでしたっけ・・・2~3日?』、娘看護婦『分からないんですか!?ハッキリしてください!』、僕『ハ、ハイッ!3日前です!』。マキストーブのある待合室には無言の患者さん達が聞き耳を立てて居た。僕のすぐ後に、初めてらしい女性の患者さんが受付に来た。待合室の寡黙な患者達は、僕も含めて一斉に耳を欹てていると、娘看護婦『化粧落としてください!症状はいつからですか!』と期待通りの怖い受付の洗礼が始まると待合室の患者さんたちは顔を見合わせ『暗黙の会話』を交わしていた。しばらくして僕が呼ばれて恐る恐る診察室へ。般若のような、もっと怖い長身の海軍将校風の白衣の院長が僕の話を少し聞いただけで何の説明もせず、診察台で首のレントゲンを撮ると言う。その後、椅子に座った僕の背後に回り、いきなり首を「ゴキッ!ゴキッ!」と引っ張りあげた。驚いた事に、この治療で一週間目に、海軍将校風院長『君は、治ってるよ!』、僕『まだ手が挙がらないんですが・・』、海軍将校風院長『君は度胸がないんだよ!』、僕『本当に挙がりませんから?もう、来ません!』と、家に帰った途端、腕が挙がってしまったのだ。海運将校にお侘びを言わなければと思いつつ恥ずかしくて顔を出せなくなった僕は、大工の棟梁や主婦や、大学教授など数人にその医院を紹介した。みんな娘看護婦と海軍将校院長には驚いていたが、僕の事前情報で覚悟していたらしい。紹介した全員が完治した。あの時の僕は、通院中もあきらめて必死に左手で箸を持ち、左手に筆を縛って訓練したものだ。その時思ったのは『もっと早く左手を使えるように訓練しておけば良かった』と。その後は、左手で色紙に短歌を書いてみたり、イラストを描いてみたりしたが、これがまた味のある筆跡で自分でも気に入っている。PCの時代になり、筆に代わった慣れないマウス作業に肩がこった僕は、すぐさま『左手マウス』を実践。今では肩こり知らずで3台のPCの前で効率よく作業している。右利きの人に絶対お薦めのお話です。ちなみに、当時は海軍将校院長は午後は北大病院に行っていたそうな。海軍将校院長も怖い娘看護婦も、怖い奥様婦長も廃業後は優しくなったのだろうか?その後の僕は、首の痛みを感じた時には、ソファーの背もたれに顎を当てたり、顎枕など自分流で工夫しながら頚椎の治療をやっている。あの時の名医『海軍将校院長』は今も、おっかない顔のまんまで僕の心の中に居る。
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