北陸新幹線が昨日14日(土)やっと開通し「東京」から「金沢」へ行くが、隣の県、僕の第二の故郷「福井」には、まだ行かない。新しい北陸新幹線の沿線は人の交流や流通が盛んになるに違いない。北陸本線の沿線にあった僕の故郷はSL機関区のある鉄道の街だった。小学校低学年の時には、隣のおばあちゃんから頼まれて、知らない町まで汽車でお使いに行くのが僕の大好きな冒険だった。駅前の駄菓子屋で「アズキアイスキャンデー」を一本買って、硬い紙の切符を「パチン!」と切ってもらい、改札口を出ると、地響き立てたSLがホームに滑り込んで来る。瞬間!あの轟音と汽笛で引きずり込まれそうな目まいがして、ホームを必死に後ずさりしたが、列車に乗るとタバコの煙を避けて最後尾のデッキでレールを見ながら「♪~線路が走る!~♪~線路が走る!~♪~線路が走る!」と自作の歌を次の駅に着くまで口ずさんでいた。駅から駅の間はいつもこのパターンだった。知らない街に向かって楽しい冒険の始まりだ。SLが引く列車の想い出はいっぱいある。遠くの山間からSLがやってくると必ず手を振ると、親戚のオジさんが機関手だったりする。駅のホームにはいつも名物の「立ち食いそば」や、「梅肉」や「あんころ餅」や「お茶」や「鯛寿司」や「駅弁」の立ち売りの声も響いて賑やかだった。山間の小さな駅が列車が到着するたびに賑やかな理由は「金沢機関区」から列車を引っ張って来たSLが我が町の「今庄機関区」で石炭や水の補給のためと、さらに2台のSLを連結するため長時間停車するからだ。京都・大阪方面に向かって、この先の「敦賀駅」までの急勾配をSL三重連は、スイッチバックで進んだり後退したりを繰り返し山頂駅の「杉津」(すいず)まで登り切る。こんな風に「北陸本線」の「福井」は、関西圏との関わりが深かった。中学のとき、当時は日本一長い「北陸トンネル」の工事が始まった。北陸トンネルが出来ると言うので、美術部の僕は夏休みを返上して中学校で「大きなグラフ」の制作に取り組んでいた。タイトルは「北陸トンネルと輸送量」。B1ケント紙をつないで烏口やポスターカラーなどで仕上げ、県の「統計図表コンクール」に出展した。努力の甲斐あって、或る日の朝礼の壇上に呼ばれ、全校生の前で赤面しながら校長から賞状を貰った。僕の第二の故郷「今庄」から険しかった山々に掘られた長いトンネルは13~14kmにも及んだ。暗闇を20分ほどの味気ないトンネルを出ると、そこはいきなり「敦賀駅」だ。あれほどSL三重連であえぎながら登った夕日のきれいな「杉津駅」も無くなり、SLも無くなったために、わが町の「今庄機関区」も無くなり、停車せずに通過する列車まで現れた。駅弁立ち売りも、たち食いそばも無くなり、山間の駅に関わっていた人々も産業も無くなり、町は寂れていった。あの時、あれほど明るい未来予測をグラフ化したはずなのに、自分の足元の街がこんなに暗闇になるとは中学生の僕には予測できなかった。便利さの背中には、いつも暗い影は付き物らしい。写生時間に知り合いの機関手のオジさんにSLに乗せて貰って、ショベルで釜に石炭をくべ、正午の汽笛を鳴らさせて貰った頃が懐かしい。SLは街に時報も提供していた。
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