「書き言葉」と「話し言葉」

一昨日は土曜日と重なった「春分の日」、その名の通り雪解けの斜面には「蕗の薹」も顔を出した。例年に無く暖かく、早い春の訪れだ。庭の雪割りで一汗かいてシャワーで汗を流し、散髪でさっぱりする事にした。家族からは「大型ショッピング・モールにある安くて早い理容店に行ったら?」と言われていたが、やっぱり行きつけの「理髪店」に行ってしまう。目的は「散髪」そのものより「対話」する楽しみだ。理髪店の店主は地域の情報収集家でもあるからだ。彼の話し言葉と表現は、いつも変らず「親しき仲にも対顧客」を意識しているから心地良いのだろう。この日は、先客が一名居たので待ち時間を計算して、タブレットと栄養ドリンクを一本持って店に入った。店主が「これ、渡し忘れていました」と、マフラーを差し出した。無くしたと思っていた僕のお気に入りのマフラーだ。あの寒い冬は過ぎたが諦めていた物が見つかり、いい一日になる予感がした。散髪を終え、仕事先数軒に顔を出し、社にも立ち寄り、夕方、さぁ友人に逢いに行こうとメールを入れて向かったが、何か変に予感がしてメールを見ると、何と「来ないで欲しい」と。事情を知るまでやや一方通行のメールで確かめた結果、前日の僕の言動が原因だとわかった。その時の僕は『明日は忙しいからっ!』とか、質問に対しても答えなかったと言うのだ。忙しいのは事実だったが、言葉の表現が相手の心を傷つけてしまった。素直に謝ったが、暫くは許して貰えないだろう。「親しき仲にも礼儀あり」とは良く言ったもので、親しいだけに言いたい放題になりがち。仕事上、広告制作でも、「書き言葉の表現」は大切に扱うが、普段の生活の中で、つい忘れがちなのは、無意識な「話し言葉の表現」ではないかと、改めて思い知らされた一日だった。「良き日も悪しき日も自分次第」

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