端午の節句の「端」は「初め」の意味で、「午」は「五」、「端午」で「五月初めの五日」という意味らしい。 由来は、中国東周時代の政治家 屈原(くつげん)を供養するために始まり、三国志の時代に日本へ伝わり、邪気を祓うために、ショウブやヨモギを軒にさす風習がやや変化したらしい。
子供のころ5月になると小さな兜や、ミニチュアの刀架けに大小の刀を二本飾って、香りの良い菖蒲の花を飾った傍らで、僕は大切な飾りのその刀を抜いて遊んでいた記憶がある。父が作ったチマキを食べ菖蒲がたくさん浮かんだお風呂にも入ったものだ。このお飾り一式は、本当は親子ほど離れた長男の兄のために買われたもので、生後間もなく肺炎で亡くなった僕の三つ上の兄から順に僕に引き継がれるべきはずの品で、今はそのお飾りもないが、そんな訳で、当時はお飾りの横に亡き兄の位牌を一緒に飾ってあげていた。菖蒲もチマキの笹の葉も、柏も、当時は身の周りに自生していた。元気に健やかにと願う『端午の節句』だが、風習も消え、祝う意味も薄れ、GWの一日と化した『子供の日』。それにしても、当時に比べて今の孫たちは『健やか過ぎ』て、雨後の筍かウドの大木か?日に日にどんどん大きくなり、僕たち『昔の少年』にとっては『老後の絶句!』?だ。