札幌も郊外に行くとビニール紐で仕切られて貸し出された農地の「菜園」でせっせと働いている人達を見る。主にサラリーマン定年後の人達のようだ。意外だったのはラジオのFM局のまだ若い部長さんまでが休日に麦わら帽で「菜園」に行くのが楽しいと言っていた。マンション生活で土が恋しいらしい。僕は中学まで半農半林の田舎暮らしで田植えから田んぼの雑草取りで蛭にくっつかれたり、大根を引っこ抜いて川で洗ったり、荷車引きが小学校へ朝登校前のノルマだったり、重い生木の丸太を何本も背負って炭焼き窯に入れたり、椎茸のホダ木に菌を植えたり、干し柿を作ったりとあらゆる農・林業の手伝いをさせられた。サラリーマンの子達は自由に遊びまわるのを羨ましく、スキあらば逃げ出して一緒に悪さばかりして遊んだ。でもその直後には更にきついノルマの作業が与えられた。例えば春先に大きな田んぼ一枚の稲の株を長い柄の細い鍬で一つ一つ掘り起こす株打ち作業だ。父「一日かけてやっていいから」と。僕はしばらくして手のひらに豆を作って、田んぼの中で大の字になり空の雲の動きを見ながら眠ってしまい夕方ハッと目覚めて薄暗くなりかけた中で必死に株打ちをした。到底終わらないから家には帰れない。母が心配して連れに来たが父はそっぽ向いて無言だった。東京暮らしから疎開で田舎に戻った両親なので、きっと毎日の労働は過酷で疲れきっていたと思う。田舎では「菜園」を「しゃえん場」と呼んでいてトマトやキュウリや茄子の朝もぎは僕の仕事だった。こんな経験豊富なはずの僕なのに例え小さくても農地を借りて「菜園」をやろうなどと思った事はないし土が恋しいとも楽しいとも思えない。本当の農・林・漁業の大変さを子供ながらに、ちょっぴり体験済みだからだ。楽しかった思い出と言えば川や野山で遊んだ事ばかりだ。先祖には申し訳ないが僕は「農民」としては落第のようだ。未だに「トラウマ」は消えそうにない。ただ、広大な北海道で農業を営んでいる方に、肩書きに堂々と「百姓」と書いた名刺を戴いた時は、余りにも潔さに感心した。
※福井では先生を「シェンシェ」と言うように菜園場も「シャエンバ」と発音する。少しばかり幼児の言葉にも似ている。