日本でのバレンタインデーとチョコレートとの歴史の起源については、以下のようなものがあるが、判然としていない。
- 神戸モロゾフ製菓(現在のモロゾフ)説
- 東京で発行されていた英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー』1936年2月12日付けに同社が広告を掲載したことを重視するものである。「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告であった[† 5]。確認されている最も古い“バレンタインデーにはチョコを”の広告である。
- なお、モロゾフの本店があった最寄り駅の阪神御影駅南側の広場は2013年に「バレンタイン広場」として整備されており、聖バレンタインゆかりの地とされるテルニ市からの「お墨付き」を得ている。
- メリーチョコレートカムパニー & 伊勢丹説
- 同社が1958年2月に伊勢丹新宿本店で「バレンタインセール」というキャンペーンを行ったことを重視する説である。
- 森永製菓説、伊勢丹説
- 1960年より森永製菓が「愛する人にチョコレートを贈りましょう」と新聞広告を出し、さらに伊勢丹が1965年にバレンタインデーのフェアを開催し、これがバレンタインデー普及の契機となったとする説がある[4]。
- しかし、「バレンタインデー」の文字がある広告が、1956年の西武百貨店や松屋の新聞広告や、1959年の松坂屋の新聞広告にも掲載されており、デパート業界では伊勢丹が最初というわけではない。
- ソニープラザ説
- ソニー創業者の盛田昭夫は、1968年に自社の関連輸入雑貨専門店ソニープラザがチョコレートを贈ることを流行させようと試みたことをもって「日本のバレンタインデーはうちが作った」としている[5]。
ただいずれにしても、すぐに大きな反響があったわけではなく、商品もあまり売れなかったようだ。いろいろな説があるが、バレンタインデーが日本社会に普及したあとに、自社宣伝のために主張されたために誇張も含まれると思われる。
昭和30年代には、「バレンタインデーのプレゼントはチョコレート」とする意識はなく。当時のバレンタインデーの新聞広告は、プレゼント用にチョコレートは登場しなかった。森永製菓の広告ですら、チョコレートはおまけとして位置付けられていた。バレンタインデーの起源の一つとされる1960年の森永製菓の新聞広告は、チョコレートを贈る日ではなく、「チョコレートを添えて(手紙などを)贈る日」として書かれていた。バレンタインデーに贈るのは誰かという点でも女性に限定されていなかったようだ。ただ「愛の日」という点は強調され、つまり夫婦の日であって、当時の社会通念上、現代のような結婚を前提にしない恋愛と未婚の未成年者は想定外だったようだ。