天災は必ず来る。

九州地方を襲っている地震群は今までに無い規模で、活断層に飛び火しているかのように連鎖的に拡大している。我が家に出入りしている方の娘さんも九州でバレー教室を開いていて最初の地震の夜、練習中の生徒さんがケガをされたそうだ。僕も幼少期に福井大震災を経験しており、幼いながらも鮮明に覚えている。地震・雷・火事・親父と言うが僕は全部怖かった。最初は轟音を、大嫌いな雷と間違った程凄かったが、揺れだして初めて地震と分かった。6歳上の姉が手を引いてくれて逃げたが、足元で瓦が炸裂し、頭に当たらぬよう後ずさりしたりしながら障害物を避けて道路の端を歩いた。近くの小学校の校庭を目指したが目前にして手前に掛かる橋が、土煙をあげて崩れ落ちた。その後孟宗竹の林に逃げ込んだ。根が網目状に張って陥没しない事と竹は倒れたり折れたりしないからと、親から教えられていたからだ。親たちは川向うで野良仕事などしていて、子供たちだけが竹藪に集まって過ごした。夜遅く、遠い川下に残った一本の吊り橋を渡って親たちが歩いて戻って来た。早速、手縫いで防空頭巾(東京空襲経験から)を縫ってくれたので、衣服と靴と防空頭巾を風呂敷に縛って枕元に置いて何度も来た余震に備えた。田舎では、ほとんどの家が200年も経つ家屋で太い柱や梁のお蔭で倒壊は免れたが、町の家屋は直下型で屋根の三角部分だけが残った異様な光景だった。現代との違いはライフラインと言われる部分で照明のための電気のみが止まったが、蝋燭や懐中電灯で、水は井戸か谷川、トイレは汲み取り式、食料は自給自足、交通は自転車か徒歩と、皆が臨機応変に普通の暮らしを始めていた。(TVにも携帯電話にも、PCにも、電車にも、コンビニやスーパーにも頼らずに)この時の事は今でも鮮明に覚えている。防空頭巾など古臭いと言うかも知れないが、キルティングで作って鞄に入れておけば今でも役に立つと思う。火災の時には濡らして使うが、煙を吸わないよう口元も覆うように作ればなおいい。ヘルメットなどよりも、座布団に流用したりトートバッグ状に作ればさらに使い道は広がって、イザと言う時に役立つ。「備えあれば憂い無し」。近々作ってみようと思っている。

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