スキー&スケートの想い出

知人のブログでスキーやスケートの事を思い出した。幼少のころ孟宗竹で父が作ってくれたスキーはよく滑った。北陸の雪は湿雪でびしょ濡れになってコタツにもぐって衣服を乾かした。5年生の時に初めて板のスキーを買ってもらった。長靴用だったがカッコよかった。兎狩りにも朝早く野山の中に履いて行った。高校はスキー場の有る街だったので全校スキー学習で初めてスキー靴の踵が固定されたスキー(カンダーハー)を知った。ひっくり返りながら何とかマスター。僕の男子寮には裕福な鉱山技師の息子たちで、高校生のぶんざいでオートバイに乗ったり派手な暮らしのスキー部の国体選手も数人いたし、クラスにも国体選手の女の子も居た。新聞配達で3万円ほどのお金を貯めて彼らから本格的なスキー道具のお古を譲って貰った。一緒に新雪の山に行って置いてけぼりにされたりもしたがスキーは勉強より大好きになった。学校にスキー板を置いていて嫌いな科学の授業にはさっさとスキーを肩に担いで片手運転の自転車で一人で30分ほどの距離のスキー場に行った。そこにはいつも既に日体大出のスキー部部長の若い教師がカッコいいオートバイで来ていたが、見つからないように滑っていた。休日にスキー場に行けばクラスのスキー選手の女の子に山のてっぺんまで連れていかれ反対斜面にまで駆け上がる勢いで直滑降に付き合わされたが、度胸が試されているわけで引き下がる訳にも行かず決行!猛速のエレベーターと同じで、一瞬宙に浮く恐怖を味わったが女の子の手前平気な顔をしていた。家から離れてスキー場の有る豪雪地帯の福井の山奥の街に住んだお陰で、寮友、クラスメイトも含めた環境が僕にスキーを教えてくれた。すっかり得意になって生意気にジーンズとセーターにレーバンのサングラスでゲレンデで滑っていて横切った中学生と接触。ストックでサングラスのガラスが割れ、目の下を切った。中学生のスチールストックを折ってしまい、またアルバイトで貯めたお金で彼のストックを買い彼の家に謝りに行ったが幸い怪我はしていなかった。その後スキーは一旦やめて吹奏楽に熱中。札幌でまたスキーを始め、シーズン30回ほどゲレンデに通ったが、春山の雪で左足首を数回捻挫してからは急斜面で足をかばうようになり楽しさも半減。澄川に住んだ頃は自室の窓から藻岩スキー場が見えクルマで10分で行けたので数回行ったが、子供に教える程度で、その後スキーはやめてしまった。スケートもスキー部の連中の夏のトレーニングで使っていたローラースケートで大怪我しながらも一緒に遊んだ経験から札幌のリンクでも自然に滑れたが、あれほど熱中したスキーもスケートも、今はもうすっかり、忘れてしまっていた。スポーツには怪我が付きもので、怪我がきっかけでやめていた事に今になって気づいた次第。もう一つの原因はゲレンデにスノボが出現した事だ。若い頃なら飛びついたに違いないが、筋肉が硬い年配者には危険すぎるし、スノボが幅をきかせるゲレンデでスキーは今や古臭い雰囲気だから滑る気がしなくなった。山にも時代の流れが押し寄せている。ニセコは外人ばかりだと聞くし、他のスキー場もアジア系の観光客ばかりではないのだろうか。

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