国会で叩かれていた稲田朋美防衛相がとうとう辞任を表明しました。辞任は当然ながらも,同郷の福井県と言うこともあり,また擁立選挙区の1区は私が寮生活で青春を過ごした高校のあった勝山市もあったり,年代こそ違うが2月20日生まれまで私と同じと言うことで,急ぎ過ぎたご本人の生き方と,地元の事を思えば,とても残念に思います。彼女の出生地は旧武生市と今立町が統合された「越前市」です。旧武生市(たけふ)は刃物でも有名です。我が家の寺もあって迷路のような小路が特徴の古い門前町です。司馬遼太郎の小説にも街道筋の情景描写されています。武生は佐々木小次郎の生誕地とも言われています。子供の頃は秋になると恒例の菊人形展を見に行きました。また旧今立町(いまだて)は手すきの越前和紙が有名です。また隣接する鯖江市(さばえ)は眼鏡の家内工業が盛んで,今ではSABAEブランドで自治体からも世界に発信しています。お気づきかとは存じますが,稲田朋美氏がTVで見せる顔にはいつも違う眼鏡が掛けられていましたね。たぶん鯖江の眼鏡ではないかと思います。福井県は県庁所在地の福井市が,かつては「北ノ庄」言われていました。県庁は城の本丸跡地に建てられ,石垣とお堀が特徴です。実兄も県庁の水産課や文化課に勤めていました。武生市は「中ノ庄」と呼ばれ,私の幼少期に育った田舎は「今庄」と言うところで街道筋の茶屋の家屋を改装した住まいでした。田舎では屋号で呼び合うのですが,我が家だけは「茶屋」と呼ばれていました。旅人が草鞋を脱いで足をすすぎ,お茶やお菓子や軽食を食べて,その先の板取村(重要文化財)を通って,険しい「木の芽峠」や「栃木峠」を目指すわけです。その峠を降りた先には「敦賀」がありますが,険しい山を境に,僕たちの住んでいた嶺北を「越前」と呼び,峠の向こうの嶺南地方は「若狭」と呼んでいました。山を越えるだけで気候はガラリと変わり豪雪の越前に比べて「若狭」は雪も少なく温暖な海沿いになります。言葉も「越前弁」と「関西弁」にガラリと変わります。この先は京都に向かって「鯖街道」と言われて居ました。若狭地方で獲れた新鮮な鯖を京都に運ぶルートだったのです。京都の料理や加工品は北陸から陸伝いに,あるいは北前船で北海道から運ばれていました。そのようにして京都の食文化は発達したのです。昔から繊維産業も盛んな福井県の人たちが京都の「友禅染」や「西陣織」でも活躍したそうです。
-
最近の投稿
最近のコメント
- ♪昔の名前で、出て~い~ま~す。<第2弾> に iida より
- ♪昔の名前で、出て~い~ま~す。<第2弾> に oldbadboy より
- ♪昔の名前で出ています。 に oldbadboy より
- あけましておめでとうございます。 に oldbadboy より
- COVID19感染拡大 に oldbadboy より
アーカイブ
カテゴリー
ナビゲーション
メタ情報
タグクラウド