広告制作今昔物語(写植とレタリング編)

広告の制作に携わって久しいが、制作に苦しんだ時代もあった。今のようにマック(Macintosh)やウインドウズ(Windows)での制作ならいいが、絵の具やインク、墨汁などを駆使し、烏口やコンパスを使ってのデザインは時間と労力がかかり、手も衣服も床も机も汚れる仕事だった。文字は「写植屋さん」にお願いして打って貰い、届いた印画紙を切り貼りする。写真は「写真屋さん」に頼み、届けてもらった印画紙をこれまたカッターナイフで薄く剥ぎ取ってゴム糊で貼り付ける。製版フイルムに影が出ないように写植も写真も如何に薄く剥がすかがベテランの技だ。版下なるケント紙の台紙を持ち運ぶ度に文字がはがれたりのアクシデントで印刷完了まで神経をすり減らす。訂正で切り貼りした箇所の文字がはがれて無くなって必死に探したら、靴の裏にくっついていたり、肘にくっついていたり大変な思いをしたものだ。僕は元々大阪でテキスタイル・デザイナーだったので絵の具の扱いには慣れていたが「写植の切り貼り」と「レタリング」と「コピー・ライティング」には苦戦した。写植はモノクロだからポスターデザインなどにはレタリングの手描き色文字が必要になる。溝の付いた「溝指し」と言う物差しと頭に玉の付いたガラス棒と筆をお箸のように握って一気に書く。こんなスゴ技をやっていた。TVのテロップなどは局の美術の人から「5mm以上の文字は手書き」でと教えられ黒いカードに「面相筆」と「ガラス棒」と「溝指し」を駆使して必死に描いた。画面下のスーパー文字もグレーの巻紙に手描き文字を長々と書いたものだ。しばらく経って色文字を作る機械?が売り出された。今思えば、あの苦労は一体何だったんだろうと。

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