どこまでつながっているのか?

誰にも見られていない安全な日記的なブログもいいが、今の時代にそれは無理かもしれない。個人情報が云々されて久しい現代も、むしろ以前より個人情報に興味を持つ結果になっている。ハッカー達はどこからでも個人情報を抜き取るし、またそれを売りさばくシンジケートも暗躍しているのが現代だ。名簿を買った昔を思い出したが、今なら売った方も買った方も犯罪になるだろう。特定個人と断定できないネット上の書き込みなども当然ガラス張り状態だから覗こうと思えば簡単に覗けるだろうし「口に戸はたてられない」状態なのだが、知ってか知らずか中傷記事も絶えないし、その投稿直後にはお決まりの「炎上」がその証拠だろう。相手も見えないだけに怖い。例えば、もしかして中傷の相手が隣近所や身近に居たと仮定した場合、炎上渦中に本人も居たとなれば事件性さえ帯びてくるから十分気を付けたい。自分の事をさらけ出すには持ってこいの手段だが、相手のプライバシーをも公開している事にも成り兼ねないからだ。とは言うものの本当のプライベート部分までは体裁上、誰もさらけ出したりはしないだろうし、或る程度は美化して投稿する事とは思われるので、相手の見えないネット上での一方的情報の信用性は低い。先日も突然!女性名?で「お友達に成って、相談相手にと?」ラインが来たが、危なくてもちろん無理・ブロックもしたが、知り合いの知り合いのまたその先の見知らぬ先の得体の知れない処にまで自分が繋がっている事をあらためて痛感した。

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災いは3度起きる。

11日付(今日付)新聞広告も一昨日、東京のチェック、内部チェック、クライアントのチェックを終えすべてOKと言う事で昨日朝製版に送り、新聞社へ昼直前に送稿。今日は、何事もなく安泰日と思って出かけた。と、出先でスマホが鳴った。一瞬送稿済み新聞原稿の事が頭をよぎった。案の定、予感が的中!新聞社チェックで誤字が見つかったとの事。しかし明日付、戻って作業するにも時間がない。こんな時、僕の鞄の中のタブレットが活躍する。マイクロソフト社のサーフェースと言う奴のキーボード付だ。それに最近は決まって最終原稿を自分のアドレスにも送信する事にしている。外出先でタブレットを取り出し制作ソフトを起動させて修正作業を開始。タブレットのいいところは、画面は小さいが簡単にタッチ画面に指で部分拡大できる処だ。修正原稿をURLにして製版会社へ添付送信。何とか午後5時半までには新聞社へ再入稿できた。こんな事は何度もあるが、今回も綱渡りだった。それにしてもあんなに大勢の目を通して来たはずの原稿の誤字を見つけた新聞社の校閲担当の方には脱帽だ。最初に制作時点でPCがぐずって、次に再起動で制作中にクラッシュ!。そして今回の再製版騒ぎ。「悪いことは3度続く」僕の悪いジンクスだ。最後まで絶対に気は抜けないと言う事だ。今朝は5時半に新聞受から朝刊を取り出して、掲載されている事を自分の目で確認してやっと安心した次第。男はつらいよ!

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急ぎの時のPCクラッシュ!

11日付の新聞広告原稿制作中に、またマックがクラッシュした。せっかく根を詰めて作り上げた原稿が一瞬にして消えた。どこを探しても復元は不可能。小まめに保存しなかった僕のせいだからだ。クライアントには言い訳は効かないし、明後日掲載の新聞社だって待ってはくれない。こんな事は、これまで何度も経験済みだが、頭の中が一瞬、真っ白になって悔やんだ。前職でも周囲から「大丈夫?えっ?明日送りの原稿?」などと驚かれたが、しかし誰も助けてはくれない。また一から自分で制作作業をするしかない。こんな時の僕は至って冷静に「いやぁ~大丈夫!頭のハードディスクに保存されてるからさ」と嘯くことにしている。今回も午前中のハードな作業に一心不乱で取り組んでいるとマックの動作が鈍って来たので、昼休みがてらにOFFにして注意はしていたが事故は起きてしまった。幸いにも、夜7時までには仕上げる事は出来たが、さらに入念な再チェックをして原稿のURL添付メールを朝早出して製版会社に送らなければ。何しろ明日付けだから。

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小説嫌い。

昔から小説嫌いの私はこれまでに小説らしきものは両手で数えられる位しか読んでいない。理由は創作されたものの裏を見る悪い癖から来ている。映画でも舞台でもコンサートでも仕事柄か、作り手の裏側を見てしまうから、心から入り込めないし乗り切れない。講演会の開催で五木寛之、藤本義一、家田荘子、など著名な作者に直接話を聞き、せっかくサイン入りでいただいた書籍でさえも目を通していない。書物を全く読まない訳ではないが、自分が気になるものだけを読むようにしている。友人の元同僚の新聞記者が退職後に同人誌に小説を掲載した。何でも純文学だと言う。その全文を友人から見せられたが、数行で読むのを止めてしまった。普段使用しない余りにも難しい言葉や言い回しが羅列されていたからだ。さらに同人誌には彼の作品に対する批判めいた批評が沢山載っていた。それに作者からの反論もあったりして大混乱のお祭り騒ぎの様相だ。こんな小説嫌いの私も実は小説でも書こうかと、ふと思う事がある。そして根拠は無いが、書けるような自信が湧いてくる。漫才師の又吉氏が書いた小説が芥川賞を受賞したが、彼は書物を読むのが大好きでそれなりの素質を持っていたのだろうからうなずける。芥川賞などを狙うのは別として、一生に一度くらいは小説を書いてみたいとも思う。

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寡黙な曜日。

大きな戦争の後に訪れる僅かな平和。しかし喉元過ぎればまた繰り返す。世の中は争い事が絶えない。戦争の元凶は「欲」。スポーツも同じだが「スポーツマン・シップ」がお互いに理性を保っている。時にはエスカレートして暴動を起こすのはサポーターの方だ。戦争を無くするには人間改造しか無いのだろうか。肉食系動物的頭脳を草食系動物のような頭脳構造に変えられれば争いは少なくなるのではないだろうか。草や木の芽は季節が来なければ食せないからじっと冬眠して我慢して春を待つ。一方、肉食系は目の前に自分より鈍感な生物さえいれば「食欲」に任せて襲い掛かる。また同類で弱そうな異性には暇さえあれば「性欲・肉欲」まかせで襲う。人間も同じで、目前の煩わしい者を敵?と見なして戦う。正当防衛や正義感と言う盾の元に。「物欲」が他国領土を奪う。こんな地球上の世界の有事もさることながら、家庭でも職場でも学校でも同じ事は起きている。すべては人間の頭脳構造から自分を基準軸において廻りを見てしまうからだろう。家庭の中でさえもイザコザは絶えない。「言葉」も時として「種火」になったり「起爆剤」になったり「凶器」となる。僕の場合、ずっと以前から、売り言葉は買わないようにと「寡黙の日」を決めている。もちろん火曜日と木曜日だけだが。

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