運動会は家族総出で応援に。

僕は、30日(土)の朝一番に「MEET MINI」を開催の会場「イオンモール札幌平岡」に行って、メーカーさんの方の居るところでスタッフに「今日は来場少ないですよ。札幌は小学校の運動会の日で、しかも今年から低学年も午後の競技がありますから。午後3時過ぎになれば来場も多少あるかと思いますが・・・」と。札幌のスタッフは知っていたようだが、皆、キョトンとしていた。北海道の小学校の運動会は5月に行われる事を本州の人たちは知らない。今回のイベントスケジュールも全て東京で決めた。案の定、初日の30日(土)のイオン平岡は買い物客も少なかった。運動会のほかにも札幌ドームでは大谷翔平くんが先発投手の中日戦が午後プレイボールだった。大谷くんが投げる日の札幌ドームは満場になる。大げさだが野球が嫌いで小さな子供や孫が居ない人たちしか来場しない日になってしまった。翌日は学校も休み、翌々日(月)も代休で、むしろ(日)・(月)の方が来場が望めたかも知れない。ちなみに日曜日のドームでは有原くんが投げた。今回のMINIの試乗会で僕はラジオCMとラジオの現地中継でしか関わらなかったが、今後は運動会の日は避けるようメーカーさんにアドバイスしたいと思う。でも日曜日にはかなりの来場があった。

ちなみに僕は30日(土)の運動会に行かず、MEET MINIの会場と仕事に出かけたが、運動会を見に行った家族の話では4人の子供たちは大活躍したようだ。かけっこで長女は1等、双子の男児も1等、女児は2等、末っ子は3等だったらしい。応援は出来なかったが、後でビデオでゆっくり見ようと思う。

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MEET MINI。

昨日は小学校の運動会でやや来場者が少な目だったイオン平岡で開催のMINIの試乗会も今日が最終日。今日と明日は学校もお休みで、家族連れの方々がお買い物にどっと押し寄せるに違いない。イオン平岡のセンターコートに展示のMINIもカラフルボディの展示車両も目立っている。屋外B駐車場の試乗車は20台近くありいろいろなモデルのMINIに試乗できる。同乗ナビゲータが誘導してくれるので初めてMINIを運転される方にも親切に教えてくれる。夜には雨も多少降ったが、昨日に比べ、風もなく、ホコリも立たない5月最後のさわやかな休日に素敵なMINIの試乗に出かけませんか。

イオン2     イオン1

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明治の武士団入植。

北海道について語られるとき、いつも残念に思うのは、食い詰め武士団が入植して出来た土地、という言い方です。そういう祖先を持つ方に会ったことはありませんが、これはそう名乗る人はいないだろうということかもしれません。が、家老の家系の方には、取材で何人かお会いしました。このへんに大きな誤解があるように思います。

まず、食い詰め武士には、北海道に渡航する費用がありません。また、北海道に渡ったとして、森林を切り開き農地にし、そこに作付できるのはよくて翌年。その収穫はさらに秋まで待たなければならず、凶作や作付失敗、漁業の不漁などが起こります。その間、自力ではワラ1本調達できないので、住む家や、筵、衣類、農機具、そしてその間の食糧もすべて国元から送られていました。旧藩がどれほど豊かだったとしても、巨大な事業です。

こうまでして大名家が北海道開拓に力を入れたのは、鳥羽伏見など、明治維新の戦争のせいです。武士の時代には、戦争を行って勝てば報賞が得られました。その多くは敵国の領地です。その約束があるから参戦したと言っていいでしょう。でも、明治維新の際には、報賞がありませんでした。日本史上まれに見る規模の大戦争に参戦し、莫大な戦費を費やしたあげく、勝っても報賞がないとなれば藩の経済が危うくなります。明治政府にすればもう武家の時代じゃないから、ということだったのかもしれません。しかも非協力的なら、討伐の対象です。本来あるべき報賞の代わりが、北海道入植の権利でした。そこで大名家は藩の命運を賭けて、誰もやったことのないような大事業を行わざるを得なかったわけです。

それほどの大事業ですから、移民団の責任者は当然家老クラスでした。しかも同行する武士も無能ではありませんでした。素行や忠誠心の疑わしい者を選んで、サボタージュしたり、逃亡したり、命令の意味もわからないほどだったり、ましてや喧嘩して仲間を殺しでもしたら、国元からピストン輸送で食糧資材を送り続けた経費が、水の泡です。つまり、それなりに知能が高く、忠誠心が厚い者を選抜し説得して送り出さなければなりませんでした。いわば現代で言えば、専務、本部長クラスを代表にした、平均的なサラリーマンが移民団の中心だったわけです。それを食い詰め武士呼ばわりは、当時の武士団にいささか失礼なわけです。

ただしそんな状況ですから、食い詰めてこそいないものの、過酷な運命が待っていたことは変わりません。まず、明治政府から言い渡された蝦夷地開拓の権利とは、絵に書いた餅どころか、絵にすら書いてない空約束でした。私は実際に加賀藩の家臣団が入植の際に携行した日本地図を、家老の子孫の方から拝見させて頂きました。がそれは北海道がサツマイモの形をしており、サハリンと樺太が別々にありました。間宮林蔵が蝦夷地の詳細地図を作っていたとはいえ、それは幕府のためのもの。大藩の加賀藩すら手に入れることはできない、極秘中の極秘でした。

そんな怪しい地図ですが、彼らにとっては頼りの綱。薄暗く時に激しく揺れる北前船の船倉で、侍らしく泰然と座り、懐にしまった蝦夷地図に手を置いて、未知なる土地へ思いを馳せる姿を想像すると、胸にこみあげるものがあります。ちなみに地図は、当時の小さめの半紙を継ぎ合わせた上に書いてあり、糊が劣化してバラバラでしたが、慎んで撮影させていただいた上で、表具してお返ししました。

さて、移民団はひたすらお国のためと信じて大自然との戦いに明け暮れましたが、明治4年に、彼らの希望を打ち砕く出来事が起きました。つまり開拓使は、北海道の土地の所有を、北海道に本籍を置く者に限るという法令を発布したのです。こにれはさしもの武士団にも大きな衝撃が走りました。それまで、藩主の所有物である開拓地を切り開き、大きな収益をもたらして故郷に錦を飾り、出世して家門を繁栄させるという夢が、根底から覆されたわけです。この時にはさすがに多くの武士が帰国したと言います。でも、家門を捨て蝦夷地住民に身を落としても、お国の財産を守ろうとした人がいたから、大藩の家老職の子孫が、いまも北海道に住んでいるわけです。

お人好しや運の悪さも時として罪ではあるかもしれませんが、北海道入植の武士団は、能力が低いために食い詰めた人間とは、真逆の存在だったことは間違いありませんでした。

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銀行はマイペース。

今日は、昼休みに北海道銀行に行った。前に独立した時の別の法人名義のキャッシュ・カード紛失届け後にカードが出てきたので使用停止解除を申し出ていたが、窓口の係が的を得ない。僕の前の会社の本社地番ビルに駐車場ビルを建て替えられ、当時のビルは存在しない。今はほとんど活動していない会社のため変更登記するまでもなく放置。銀行から書類の送り先と言われたので事情説明し自宅住所を書いた。それでも銀行は自宅と今は存在しないビルの住所に同時送付するらしい。(登記簿にも取締役の住所として自宅は明記されているが)こんな事で今日は最後4回目の窓口のつもりだった。前回窓口で謄本を提出と言われ、今回郵送の来店催促書類には謄本は不要と取れる内容。通帳・届け印・カード・免許証・送付された書類をそろえて窓口に提出も『やはり謄本が必要』と。急いで法務局に飛び、全部証明600円也。折り返して5回目の窓口に提出も『上の者に伺って来ます』とまた待たされ、上の者?が現れ別の打ち合わせの場所に通されたが『自分は決められず上の者に相談を』と、まだ上の者が居るらしい。もう一度説明して彼が消えた。もういいからやめて帰ろうと思っていたらやってきた。今度は恩着せがましく『OKを貰えたので窓口の前で待ってください』と。タブレットやスマホで手持ち無沙汰を紛らわしてやや待ってから呼ばれた。『カードが使えるようになりました』と、駐車券の追加分もくれた。と、言う事は1時間以上待たされたことになる。東京三菱も北洋も直ぐ対応してクリアしたのに北海道銀行は用心深いのか?。忙しい僕にお構いなしのマイペースで、本人の僕が信用されていないような気分で、非常に最悪の一日となった。これで今後は余り取引したくない銀行の一つになった。気分転換に帰りにカラオケで発散しよう。週末だ。まだ仕事がある。

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大気汚染化。

このところ雨が降らない。5月にイベント二つに関わっているのでクルマを洗わず好天をお祈りしているからだろうか。31日(日)撤収後には洗車をしたいと思う。白樺の花もようやく落ちて、つらかった花粉症も治まってきた。今年初めて花粉症のようなひどい症状になった。喉が痛く、咳が出て、ハナが出るは目は痛いは、寝るときもマスクをしていたほどだが、今は嘘のように治まった。たぶん花粉だけではないと思う。PM何とかや、黄砂など有害物質が大気に浮遊しているに違いない。地球温暖化とか言う前に大気汚染化の方が大問題だと思う。発生源はハッキリしているのだからもっと直接的メッセージを相手にぶつけるべきだと思う。日本の政治の奥ゆかしさには歯がゆい。

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