北海道文化塾(6)裏話(常田富士夫さん)

僕が当時も勤務していた広告代理店のプロデュースで始まった「日本むかし話」のTVアニメを子供たちと見ていた事から、お爺さん役の声優だった常田(ときた)富士夫さんの人選を思いついた。直接電話を差し上げると、奥様が出られた。彼は夫婦でタッグを組んでいた。奥様はマネジャー兼音響の担当だった。講演の前日、市民会館大ホールの下見をしたいとの事で僕も立ち会った。常田富士夫さんが「君、壇上に上がって椅子に座ってもらえないか?」と。それから会場照明係りに細かなライティングの指示が始まった。僕に暖かいライトの光が当てられた。さすがに舞台の人だけあって真剣だ。奥様は、ホール上階のミキサー室の窓から彼の指示を忠実に聞いてBGMやマイクテストを繰り返した。当日一脚の椅子しか置いていない広いステージに彼が現れると、満場の拍手が鳴り響いた。あのTVアニメでおなじみの「日本むかし話」のゆったりした口調で始まった。会場はあたたかい雰囲気に包まれた。

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インターネット文化塾(8)「あの手?この手?」

一昨日「珍事件?」が起きた。弊社のブログの一部に「見慣れないマーク付き無断リンク」が貼られたのだ。丸の右上にチェックのようなグリーンのマーク付きで未公開のブログの文書の一部にアンダーラインと紫色したリンク文字?その中の一つ「銀行ローン」の色文字をクリックして見た。すると「某消費者金融」に飛んだ。また他の未公開予約済みブログの中に貼られた「婚活」の色文字のリンク先は「某結婚相談所」に飛んだのだ。もちろんリンクを貼る操作をした記憶もなく、Kさんに原因を調べてもらったが、どうも「妙な広告をブロック」するアプリを入れた際に、非常に似通った、紛らわしい名称のアプリを誤って入れさせられたようだ。『Ad Block』→『mini ad Blocker』(er)早速アンインストールしたが、このような「あくどい手法」でカウントを稼ぐ仕組みをリンク先のクライアントは知っているのだろうか?折りしもその日は13日の金曜日だった。やっぱり!何かが起きるはずだ。

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北海道文化塾(5)裏話(今井道子さん)

事業イベント「北海道文化塾」に女性登山家の今井道子さんをお招きした。例のごとく、講演前の市民会館の貴賓室で雑談をさせていただいた。彼女からはチベットの山岳地帯の村の暮らし方のお話をうかがった。昔の話だとは思うが、外敵から守るためか高床式住居でトイレはそのまま、床下へ落とすらしい。その下には家畜を飼っていて、排泄物をきれいにしてくれ、そのまた家畜の排泄物は鶏がきれいにしてくれると言うのだ。さらに鶏の排泄物は獣や野鳥がきれいにしてくれ、消化できない木の実などの「種子」をどこか遠くに運んでくれ、緑を作るのだと。置かれた環境に順応した高地の人々の暮らしと動植物の自然の摂理にかなった「生態系」は、トイレの形や家畜の飼育方法などに、多少の差はあれ、僕の幼少時代の田舎暮らしとも似かよっていると思ったものだ。菜園場の畝に下肥をかけて土壌をバクテリアで活性化させたり、一見汚らしいやり方も、理にかなっていたのだと今さら知った。

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北海道文化塾(4)裏話(五木さん)

事業イベント「北海道文化塾」の講師にお呼びした五木寛之さんは、「先生」と呼ばれるのが嫌いだった。大作家に親しく「五木さん」とお呼びするのも何だか気が引けたが、ご本人がそうおっしゃるので初対面でありながら僕も「五木さん」と呼ばせていただいた。丁度「大河の一滴」が発刊された時で、運営責任者の僕にサイン本をプレゼントしてくれたが、サインの文字を見て驚いた。万年筆だと思うが、竹ペンで書いたような変った文字だった。彼の原稿用紙にも、あの文字が踊っているのだろうか?

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インターネット文化塾(7)「検索エンジン」

日本でPCを買ってブラウザを立ち上げるとYahoo!のページが表示されます。Yahoo!は世界初の検索エンジンですが、インターネットの世界には、Yahoo!さえ無かった時代があります。ブラウザを立ち上げてもどこにもつながっていないので、利用者は行き先の正確なアドレスを入力しなければなりませんでした。今では考えられないことですが、当時では、相手の住所を知らなければ手紙を出せないのと同じで、別に不思議はありませんでした。

では、アドレスをどうやって知るかと言えば、それはパソコン雑誌でした。さまざまなサイトのアドレス集は雑誌の目玉のひとつで、アドレス欄に入力して何が表示されるのか待つ時間は、なかなかスリリングでした。
もうひとつの入手先は、サイトのリンク集。当時のサイトは必ずと言っていいほど、自分がよく行くサイトのアドレスを紹介していて、質の高いサイト集を設置したサイトはそれだけで人気でした。そうやってリンク集をたどって、サイトからサイトへ飛び回ることは「ネットサーフィン」と呼ばれ、気に入ったサイトに行き当たったときは、金鉱を発掘したような気持ちになりました。
当時のブラウザは、新しいサイトを別窓やタブで開けるほど力が無かったので、リンク先が表示されるまでじっと待ち、期待に反していた時は「戻る」ボタンを何回もクリックして戻るということをやっていました。戻りの表示も来たときと同じだけ時間をかけながら。しかもそれは、非常に費用がかかるダイヤルアップ接続でした。

そんな中で、大量のリンク情報をジャンルごとに分類して紹介するサイトが登場し、人気を博しました。それが「Yahoo!」です。Yahoo!はすぐに日本でもスタートし、ブラウザを立ち上げるとまず、検索エンジンが表示される、今日のスタイルが生まれました。
この時代は、サイトを作ったら自分でYahoo!に登録していました。登録直後は新着ということでどんなサイトでもそれなりの上位に表示されましたが、そのうち徐々に順位を下げていくのが普通でした。それに対して、検索結果一覧の中に、サイト名の横にサングラスのマークがついていて、いつまでも上位に表示されるものがありました。これが「Yahoo!クールサイト」で、担当者がチェックして、特に有用であるとか、面白い、デザインが優れているなどのサイトを選んで、マークをつけていました。
Yahoo!クールサイトになるのはすべてのサイト制作者の夢でした。制作者はすぐにサイト登録をせず、練りに練って内容を充実させてから、満を持して登録しましたが、選ばれるのはごくわずか、超難関でした。ただし、このクールサイトがサイト制作のレベルアップに大きく貢献しました。その後のさまざまなサイト制作ツールやスクリプトは、要するに簡単にクールサイトと同じものを作ることが目的だと言えます。

Yakoo!も今はサングラスをつけなくなりましたが、当時同じように人気だったYahoo!のサーファーたちのおすすめサイト集が今でも残っています。
オススメサイト
http://dir.yahoo.co.jp/Entertainment/Cool_Links/
もはや当時のような用を成しているとは思えないので、おそらく記念碑的なページだと思います。

やがてGoogleがサービス開始し、サイトの評価は人間の目ではなく、プログラムによって行われるようになりました。また、このころから検索エンジンの評価基準を逆用して、サイトの順位を上げるSEOが盛んになってきました。検索エンジンは、公共性や話題性の高いものを上位に表示し、しゃにむに上位に上がろうとする個人や企業サイトのSEO手法を次々に無効化し、ペナルティを課しました。
Yahoo!からGoogleに主役交代し、選考基準が人の目からプログラムに変わっても、検索エンジンのポリシーは、より有意義なサイトを紹介することにあります。そこで最近の検索エンジンは、個人の検索キーワードやサイト表示の履歴を記録し、利用者の国籍、性別、おおよその住所、年齢などの個人像を組み立て、それにあった情報を優先的に表示するようになって来ました。つまり、同じキーワードを検索しても、人によって表示結果が違うようになったわけです。これによってSEOは、効果を発揮しづらくなりましたが、利用者にとっても、検索結果にバイアスがかかることになって、検索エンジン初期のような、何がでるか分からない楽しさは失われることになりました。

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