北海道文化塾(3)裏話(北野大さんから学んだこと)

事業イベント「北海道文化塾」では会場の市民会館の貴賓室で講演直前の講師との雑談が何よりの僕の楽しみだった。北野大さんからはこんな事を教わった。大学で教鞭をとる彼は「今の学生は講義中おしゃべりしたり講義に集中しない人が多いから15分に一度は「笑い」をとるようにしているんです」と。さすが「武さん」のお兄ちゃんだ。

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北海道文化塾(2)裏話(地震のお話)

一大事業イベントは、仕込みも実施も大変だったが、一回一回終えるごとに達成感を味わった。それは聴講会員の方々に喜んでいただいた時だった。しかし例外も一度あった。それは奥尻の大震災の翌年だった。奥尻には取材で一週間民宿に泊まって町役場で車をお借りしたり、島民の皆さんにお世話になったが、その翌年に、あの民宿も大津波に呑み込まれたのだ。この悲しみを生かそうと「北海道文化塾」の講師に地震の知識の豊富な方を選んだ。偶然にも休日の朝の車のラジオから情報を得、ラジオ局に連絡先をお聞きし、即刻携帯電話でご本人にお願いした。彼の講演が始まった。講演も半ばに差し掛かったころ、聴講会員の何名かが立ち上がり帰り始めた。出口で彼らは「こんな面白くない話はつまらん!」とご立腹。僕「奥尻の例もあり、人選したんですが・・・」。彼「こんな話は聞きたくないから、もう帰る!」と会場を去っていった。そう言えば、ほかの講師の方々の話は、確かに面白かった。しかし地震の話を面白くは語れない。なぜなら僕も幼少時に大震災を体験しているからだ。

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北海道文化塾(1)

SPの中でも自社事業イベントは採算ラインに乗せるまでが大変だ。平成11年まで広告代理店勤務だった僕は、支店の責任者になった年に或る企画を考えた。「北海道文化塾」のタイトルで毎月1回、札幌市民会館で著名人の講演会を行うと言う内容だ。年会費一人2万円余りで10ヵ月連続の講演会だから一回分が2千円程度のお得な会員制とした。九州は福岡にも似たような企画があると言うので出張して視察もした。一年前に市民会館大ホールを土曜か日曜いずれかキープを抽選で決めなければならなかった。なぜか?運よく毎回押さえることができた。会員募集も新聞広告やTVやラジオで行い、スタートした。僕が最初にブッキングした著名人は今は亡き水野晴夫さんだった。彼はニューヨークのホテル住まいのときに直接電話で交渉して承諾していただいた。五木寛之さんや、藤本儀一さん、堀江謙一さん、常田富士男さん、家田荘子さん、今井道子さん、北野大さん、秋山仁さんなどをお招きした。2年目のブッキングが60%ほど確定した頃、僕の勤務先の日本最古の広告代理店が倒産した。当初からお手伝いいただいたHBCさんに運営をお任せした。

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インターネット文化塾(6)「SEO?とは?」

インターネット上にサイトを開設・運営する際に、意識せざるを得ないものにSEO(search engine optimization)があります。「検索エンジン最適化」と呼ばれるもので、GoogleやYahooなどの検索エンジンで検索した際に、自分のサイトが上位に表示されるようにする技術と言われています。SEOは、サイト運営を行う場合に必ず耳にする言葉ですが、これこそが最重要課題とするものから、現在では意味がない、最小限のマナー程度にとどめるべきというものまで、さまざまな意見や立場があります。そこで、SEOとはどういうものか、歴史をたどりながら私なりの考え方を書いていきます。

日本では、1996年に「Yahoo Japan」、2000年に「Google日本語版」のサービスがスタートし、ユーザーになくてはならないものになりました。と同時にインターネットユーザーも増加し、個人のサイトに膨大な数の読者が訪問し、地方の小さな店に膨大な数のお取り寄せ注文が殺到する、というようなことも起こってきました。
そんな時、ある遊びが流行りました。例えば、人気アイドルやスポーツ選手を検索したときに、それとは全く関係の無い内容のサイト作って、上位に表示させるというものです。当時はまだ単純だった検索エンジンのしくみ(来場者が多かったり、リンクされてる数の多いサイトを上位に表示する、など)を逆用したものです。これだけなら他愛の無いイタズラですが、そのしくみを使ったビジネスが登場しました。すなわち、内容に関わらず、検索エンジンの上位に表示させることを請け負うビジネス。これがSEOの始まりです。

もともと検索エンジンは公共サイトを上位に、個人や企業の広告サイトを下位に表示していました。人は、広告が見たいわけではなく、あくまで情報を知りたいのだという考えです。しかし企業がSEO手法を駆使したため、一時期、検索結果が広告だらけになってしまいました。そのころから、内容中心に価値のあるサイトを上位に表示させようと考える検索エンジンと、クライアントを上位にさせようとするSEO業者との間で、一種の競争が始まりました。このころの検索エンジン各社は、自社の表示システムの裏をかくSEOの存在を認めておらず、公式サイトにもSEOに関する記述は一切ありませんでした。SEOの考えた手法が、ある日突然、検索エンジンによって不正な手法と判断され、SEO業者に依頼した企業サイトが、検索結果に表示されなくなることもありました。
一方で、そもそもの検索遊びを受け継ぐ「SEOコンテスト」も開かれました。実際にはない単語を検索して、表示順位を競い合うもので、2004年の第一回には「ゴッゴル」、翌年は「デースケドガー」というキーワードが選ばれました。この大会は世界中で、それぞれの言語で行われましたが、わずか2回で終了しました。これは一般ユーザにSEOのあらゆるテクニックを吐き出させるためのものではなかったかと、今でも考えています。

やがてSEO業者は窮地に立たされるようになりました。ある者は、得意の手法が中央で時代遅れになったため、地方で営業をかけ始めました。また視覚障害者など弱者に優しいサイト作りをすれば、検索上位になれると主張する業者も登場しました。そもそもSEO業者は、IT技術にも、デザインにも優れていたわけではない、コンサルタント的な立場だったので、産業として成長していく土台もなく、徐々に衰退していきました。

とはいえSEOがなくなったわけではありません。
SEO が必要なケース(Google)
これはGoogleが提唱する正しいSEOのガイドラインです。ここに書いてあることは、特別な裏技ではなく、内容を見やすく、正しく見せるための最低限のルールです。個人でもできることばかりですが、それもやっていないところは少なくありませんので、やれば今以上の成果は期待できます。また、SEO業者もなくなったわけではありませんが、それらは主にアメリカで、高名なクリエイターやスターを起用した動画を配信するなど、大掛かりな取り組みを行う企業であり、残念ながら私たちには無縁の世界です。

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ここまでやるか?子供の発想。

或る年の夏休みに友人の家族と羽幌に向かった。フェリーで焼尻島に行くためだった。札幌から羽幌までの道のりは遠く、かなり疲れた。友人のクルマが先に羽幌港に着いた。僕のクルマがやや離れたところに停まった。すると小学校低学年の我が息子が何やら取り出して頭にかぶり、その上に野球帽をかぶってドアを開け、友人のクルマめがけ「おっじさ~ん!」と、叫びながら笑顔で駆け出した。友人の彼の家族もクルマから降りて息子の笑顔に手を振って答えていた。と、息子が突然!野球帽を脱いでペコンとお辞儀した。その瞬間!僕は「ゾッ!」とした。息子の頭にはハゲの被り物があったからだ。説明するまでも無く、友人の彼は若いのに完全にハゲていたのだ。息子の行動にハラハラしたが、意外にも、友人の彼も、彼の家族も、満面の笑みで、息子の頭を軽くたたいてふざけあって済んだ。友人の彼には悪いが、この一件ですっかり疲れが吹き飛んだ。楽しい休暇だった。しかし、ふざけるにしても、ダイレクト過ぎて、僕たち大人には、とっても実行できないが、とても効果的なコミュニケーションの発想だった。

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