地方創生法で「都会一極集中」は防げるか?

11月に閣議決定した地方創生法は東京の「人口一極集中化」を避け、地方の活性化を目指す骨子だが、地方にも札幌に限らず「人口一極集中化」に歯止めが掛からない問題がある。ハード面での国の予算支援は大切だが、都心への人口流失は防げるだろうか。数日前の新聞一面記事によると「マイクロソフト」の日本法人が別海町の廃校舎を活用したテレワーク拠点施設として整備する方向で自治体と検討を始めたらしい。このように都会から見た地方の魅力を生かした事業計画は情報化社会では必要でもあり、都心からの遠隔地でも成り立つ。制約の少ない場所で働き、農業体験や地元イベント参加などで交流を図るのだと言う。酪農王国「別海町」は都心とは正反対の人口減と後継者不足の問題を抱えているため、交流人口増加や移住者の呼び込みで解消したい思惑がある。一方マイクロソフトは地域貢献の一環として実情に合わせた「ITプログラム」の開発と提供を提案している。今や、都心に通わなくても通信機器の発達で「モバイル・ワーク」や「在宅勤務」でもビジネス可能な時代になった。僕たちの仕事も美しい自然に身をおき「コピー」や「ビジュアル」や「アイディア」を創生できればいいと思うし現にできる。 昔、ベストセラーとなったアルビン・トフラー博士の「第三の波」が、もはや現実の時代だ。ニセコが外国からもてはやされているが、北海道の環境はニセコに限らず、魅力に溢れていることに、地元の僕たちが知るべきかも知れない。既に取り組んでいる企業もあるが、多くの国内企業が、もっと地方に目を向けることをお奨めしたい。(地方大好き人間)

 

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「小樽焼」のルーツ?

僕が、突然北海道に住み着いて間もなく、今は亡き田舎の父「龍之介」から毛筆の達筆な手紙が届いた。当時、カメラにすっかりハマっていた僕に、龍之介「手宮の洞窟の写真を撮って送ってくれないか」と書かれていた。訳も判らず早速、重いプレス・カメラバッグと大型三脚を担いで列車に乗り、手宮へ。ガラスと金網に囲まれた洞窟の壁面は暗く大型ストロボをサイドから照射してようやく撮影。プリントすると何だかバッテンのような象形文字が現れた。早速プリント同封で父に手紙を書くと、龍之介「お父さんは小樽でその象形文字を入れた陶器を作っていたんだ」とお礼の手紙が届いた。僕は一瞬「えっ?今や小樽焼は人間国宝・・・有名だよ」と思った。昔父は船乗りで中国まで行った話やら九谷焼や相馬焼など陶器の絵付け職人の修行の後、小樽に移り住んでいた話をしてくれたことがあった。龍之介「小樽の米問屋の若旦那が陶器の会社を興し本州から、お父さんをはじめ数人の陶器職人を呼び寄せたんだ」とか。龍之介「当時の学校の先生より高い給料を払ってくれたけど事業に失敗して倒産した」と。小樽焼の事については、龍之介「あの頃の職人仲間の誰かの家族じゃあないか?」と。小樽を後にした父は美瑛に移り十勝石を砕いて十勝焼なる焼き物の研究をした後に東京に戻り自分の窯を持ち陶器の商売を始めたようです。小樽は何故か僕も好きな街です。故郷の隣街「敦賀」にどこかしら似ているからだろうか。

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新商品開発アイディア「利雪・克雪」(無積雪住宅編)

雪のトラブルは、隣接したお隣さんと気まずい関係にもなる。除雪の大変さを身にしみて感じている僕が以前から考えている北海道・東北・北陸・山陰など多雪地帯の住宅構造はこうだ。無落雪屋根もいいが、住宅に負担を掛けない切妻屋根で、勾配を強くして、雪が降る側から落ちる構造。住宅の周囲を側溝で囲み、その上を防錆処理塗装の鉄製グレーチング(格子)で覆う。落雪事故を無くすとともに、住宅の寿命も長持ちさせ、除雪の重労働からも開放される。寒冷地では基礎工事の際に凍結深度への対策として基礎部分にも断熱材使用など施工に工夫が必要。このアイディアのヒントは昔の城のお堀だが、H1.5m×W2mほどの側溝に屋根からの雪を貯め、住宅の天井部分に溜まりがちの余熱を循環利用して温風または温水などのヒーティング技術で徐々に融雪をする。または循環ポンプで流水溝にする方法もある。融水は、オーバー・フローした分を排水する。グレーチングはスキー場のロッジの階段などでもよく使用されている。北陸などでは高速道路に無数の穴が開いたパイプから噴出する水道水で融雪しているが、これも住宅周りの側溝と組み合わせれば北陸・山陰などの住宅には応用できると思う。また、夏場の炎天下では、流水溝から汲み上げた水を屋根に降らせれば蒸発時に屋根や住宅の輻射熱を奪ってくれ、快適な夏を過ごせると思う。できれば、北海道など積雪寒冷地か、他の多雪地域のハウスメーカーさんと商品開発してみたい。

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すっぱいは成功の元/十勝ワイン

十勝ワインは、生産地である池田町だけでなく北海道を代表する名産品で、その開発物語は、後の一村一品運動のお手本にもなりました。十勝ワイン発売当時、私はまだ子供でしたが、池田町の親類が札幌の我家を訪れるたびに、発売したばかりの十勝ワインを置いていったことを覚えています。内緒で飲んでみましたが、当時の主流だったポートワインと違ってすっぱいだけ。大人にも人気はなく、どうかするとそのまま飲まれないで置きっぱなしになっていました。おそらくワインに対する理解が進んだ現代でも、あまり高い評価は得られないようなものだったような気がします。
その発案者であった丸谷金保町長の、ワインにかける意欲はすさまじいものでした。道庁に出かける町役場の職員や町会議員、札幌に親戚のいる人は、みなワインを手土産に持たされ、議会や役場での会議、役所関係者の宴会などでは、ビールや日本酒ではなくワインが出たそうです。
そんな強引なやり方に対して、当然激しい批判がありました。反対派と聞くと、保守的な考えに凝り固まった農家と思いがちですが、実態は少々違ったように思えます。そもそも十勝地方は開拓の当初からアメリカ型の大規模・機械化農場を目指していて、農業関連の研究施設も整っていました。農家にも北大農学部や帯広畜産大出身者が多く、いわば日本の農業の最先端地帯でした。経営規模も国内の農家に比べれば桁外れに大きく、第一次大戦と第二次大戦の合間にあった、アメリカのコーンベルトの大凶作の時期には、十勝の穀物が世界の何割かを占めていたといわれています。経済が衰退しつつあったとはいえ、反対派の言い分は税金を投入するなら更なる機械化や大規模化、品種開発など、農業基盤の整備をという、プロフェッショナルな立場からの反対であったことは想像に難くありません。
今日なら、ワイン製造で知名度を上げ、ひいては関連商品の販売や観光にも波及効果をと考えるところですが、当時の十勝地方は、観光で訪ねる場所ではありませんでした。そもそもが何もない自然の中に農地が広がる北海道ならではの光景も、魅力としてとらえられたのは後の話で、なぜこんな場所でワインといわれながら、ただひたすら強引にすっぱいワインの啓蒙と、販路開拓を行っていきました。その後のサクセスストーリーはあちこちに紹介されていますが、事業スタート時の思い込みや強引さは、今日のマーケティング活動に失われてしまったかもしれません。丸谷氏は昨年6月、老衰のため94歳で亡くなられました。

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長~い冬の北海道。

2015年(平成27年)もいよいよスタートしました。札幌は恒例の大通り公園内で開催の雪まつりのため、自衛隊トラックでの雪運びも始まります。インフルエンザの季節でもあり、新年会や冬のイベントで人混みに行く機会も多い時期、予防のためのマスクなど用意し、お互い気をつけたいものです。 北海道の子供たちの「冬休み」は本州より長く(12/26~1/19)、その代わり「夏休み」は短く、本州と逆です。この長い冬休みに子供たちは築山のある近隣の公園などの戸外でソリなどで「雪あそび」をしますが、道路は雪山で、小さな子供たちが見えないので、クルマの運転も特に注意が必要です。札幌はアイス・スケート場もスキー場も街中にあり、ウインター・スポーツも盛んです。中央区にある宮の森シャンツェや大倉山のジャンプ台ではスポーツ観戦もできます。箱庭みたいなこじんまりした札幌ですが、身の回りにほとんどのものが揃っている魅力ある街です。これも1972年冬季オリンピック開催がきっかけに整備されてきたからです。それ以前の札幌で僕が初めて感じたのは、本州とは少し違う洋風住宅が外国を思わせ、ふわふわの軽い雪が風景を一層美しく引き立てていました。大人たちにとって寒~い冬は、今年も4月まで半年間の辛抱です。これまで「利雪」、「克雪」などと言われてきましたが、雪対策など北海道の冬に残された課題はまだまだ山積です。僕たちも、冬を快適にするためのアイディアも考えて行きたいと思います。

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